見る間に人が離れていく

 

近頃、ああこの人も、あの人も、遂には仕事のパートナーも、居なくなることが決まった。

 

仕事のパートナーは、私のサポートとしてパートナーになり、私が落ち着いた頃に、仕事とは異なる理由で、有無を言わさず離れることになった。

 

私が最も忙しく辛いとき、のみ、居てくれたような形になって、うまく言えないけれど、本当に私を助けるためだけに来てくれたような、そんな気がしてしまう。

 

端的に仕事としてではなく、なぜうまく言えないのかわからないのだけれど、護られているというか、護りに来てくれたというか、そんな感覚になってしまう。なぜだろう。

 

私の夢を、間接的にでも、最もサポートしてくれた人だったから、そして本当にその活動のさなかだけ居てくれた形になってしまったから、だろうか。

 

バタバタと過ごしながら、ろくに雑談すらできず、何かあれば必ず助けに戻るという心意気ではいたけれど、優しさに正直心底では甘えがあった気もする。

 

これほど感謝が溢れたことは、ないと思えるほど、胸に溢れたり、詰まったりする感情がある。

 

そして、ふと、どんどん人が離れていると実感する。

 

仕事のパートナー、以前にも、プライベートのパートナー、男女1人ずつ、他にもあった気がする。

 

仕事そのもの、ライフワーク、夢は、新しい出会いに溢れている。

 

なんだろう、今日は特に言葉がまとまらないけれど、いま私は、どこかに、押し流されるように流れていて、以前から「そうなるのだな」と知っていた部分と、「実際こうなったな」とそうなっていく現実と、今は「関わる人が総替え」

 

これは想定していなくて、というのも、私が出会いに行って関わる主導権が無く、勝手に周りでことが起こっていて、これまでも例えば社内では異動も退職も多くあったけれど、今回ことごとく自分に近い人たちが動いている。

 

その流れの中を外れ、とても俯瞰して見おろすと、私にとって辻褄の合う道筋があるというのが1つと、もう1つは道の概念からは外れるけれど、なんだか、なにかがある。

 

直感だと、それは私の「人格」

 

頭をよくよく回しがちな私にとって、今日のようにどこか朦朧としてしまうのは、ある種とてもいいことだと思うし、分析と抵抗をせず流れてみようと思う。

 

 

そもそも"悩むことが好き"なことが問題

 

どんな状態になっても悩む。

今の悩みが解決すると、次のことで悩む。

 

悩むことと、ストレスを感じさせることが、好きなんだという自覚を強く持ち、先手を打つとだいぶ、いや、ほとんど楽になる。

 

悩んでいる内容が問題、なのでは、なかったんだなあ。

 

考えることが好きだからなあ。

 

先手を打っていると「今ここ」というのを、ありありと感じる。

 

今生きていること。

未来は常に今。

あのとき焦がれた未来は、常に今なんだ。

自己肯定感を勘違い

 

表題、自分は全てにおいて完璧で、素晴らしいと捉えることだという認識だったけれど、違っていて目から鱗だった。

 

こんなことで簡単に心を乱してしまう、プライドに触ってしまう、粗雑な対応をしてしまう、己を律することができない、変わろうとし続けるばかりで変わっていない。

 

そういう自分を「そういう自分なんだなあ」と、全握是非問わず肯定することが、自己肯定感と理解した。

 

都度戒めないと、より悪くなると思っていたところがあったようで、垂れ流しするように肯定し続けたところ、結局行動は変わらなかった。

 

自分を否定する気持ちが、無くなっただけだった。

行動が変わらないなら、否定するのは損をしているだけだ。

 

私は様々な面で、逆の取り組み方をしがちで、この自己肯定感を土台に、成長すれば良いのかもしれないと考えている。

 

新しい段階に入るまで、続けてみよう。

全てが変わり、何も変わらない

 

秋から冬にかけて、人生のあらゆる面で大きな事件があった。

 

家族の命、自分の命、仕事、夢、プライド、生活。

 

これまでの生き方の限界が噴出したかのようで、全てが瓦礫になり、その後も壊れたままか、新しい価値を添えてありのままであるものもあった。

 

晩冬にはパートナーとの別れがあり、その翌朝に「ああ、幸せになろう」と清々しく空を見上げていた。

 

スッキリしたわけでも、囚われていたわけでも、悲しくなかったわけでもないのだけれど、ただただ不思議と「とても幸せになっていく」風を感じていた。

 

大変厳しい期間だったけれど、なんとか再構築するべく、苦しみながらもただただ前進した。

 

その時の選択ひとつひとつは、限界に伴い見栄も保身も捨てていて、つまりは本心を叩きつけ続けるものだった。

 

ほとんどの問題に目処がついてきた時、新しい人生の導線が見えた。

 

それは365日24時間、今と全く異なる場所で、今と全く異なることをして過ごす内容で、全き人生と言えるものだった。

 

新鮮さと期待と恐れがあり、滅入る時期もあったけれど、近頃それらも乗り越えて、助走期間に入った。

 

全く変わらないものがある。

それは私の内面と、観念で、他の何より変えたいものなのだけれど、実際適切なのは、受け入れて愛することだと思う。

 

何ひとつ変わらなくても、ここが変われば世界は変わる。

 

また同じ葛藤を続けるのだろうか。

このからは破れないのだろうか。

1ミリでも成長できているのだろうか。

 

これから理想の自分になれるのだろうか。

この苦しみから逃れられるのだろうか。

幸せにはなれるのだろうか。

 

幸せを、感じる心を養わなければ、何が満たされても、枯渇したままだ。

 

変わりたい。

美しきクリエイター達

 

近頃、タイトルの出会いが多い。

 

美をレクチャーする人・ネイルアーティスト・パティシエ・アロマ商品のデザイナー・ライター。

女性の感性を活かし、生業としている。

不思議と器量が良い方々ばかり。

 

女性が何かを貫くには、男性性が強い人が多いと思っていたけれど、内包しているにしろ、たおやかな人ばかりだった。

私の知らないアプローチがあることを知っていく。

 

やはり、関わる人が変わってきている。

良い流れを感じる。

バカバカしくなるという目覚め

 

何もかもが、バカバカしく感じてきた。

 

これは一種の開き直りで、こだわったり固執する自分にとって、とても良い傾向だと思う。

 

拓いていこう。

発揮していこう。

 

持っているものは多い。

あとはやり方だ。