全てが変わり、何も変わらない

 

秋から冬にかけて、人生のあらゆる面で大きな事件があった。

 

家族の命、自分の命、仕事、夢、プライド、生活。

 

これまでの生き方の限界が噴出したかのようで、全てが瓦礫になり、その後も壊れたままか、新しい価値を添えてありのままであるものもあった。

 

晩冬にはパートナーとの別れがあり、その翌朝に「ああ、幸せになろう」と清々しく空を見上げていた。

 

スッキリしたわけでも、囚われていたわけでも、悲しくなかったわけでもないのだけれど、ただただ不思議と「とても幸せになっていく」風を感じていた。

 

大変厳しい期間だったけれど、なんとか再構築するべく、苦しみながらもただただ前進した。

 

その時の選択ひとつひとつは、限界に伴い見栄も保身も捨てていて、つまりは本心を叩きつけ続けるものだった。

 

ほとんどの問題に目処がついてきた時、新しい人生の導線が見えた。

 

それは365日24時間、今と全く異なる場所で、今と全く異なることをして過ごす内容で、全き人生と言えるものだった。

 

新鮮さと期待と恐れがあり、滅入る時期もあったけれど、近頃それらも乗り越えて、助走期間に入った。

 

全く変わらないものがある。

それは私の内面と、観念で、他の何より変えたいものなのだけれど、実際適切なのは、受け入れて愛することだと思う。

 

何ひとつ変わらなくても、ここが変われば世界は変わる。

 

また同じ葛藤を続けるのだろうか。

このからは破れないのだろうか。

1ミリでも成長できているのだろうか。

 

これから理想の自分になれるのだろうか。

この苦しみから逃れられるのだろうか。

幸せにはなれるのだろうか。

 

幸せを、感じる心を養わなければ、何が満たされても、枯渇したままだ。

 

変わりたい。