不甲斐ない自分に腹が立つ
私は精神的なネグレクトを受けて育った。
もっと自分を見て欲しかった。
価値がないから見られないのだと思ったし、罪悪感もあった。
親の影響はパートナーに投影される。
私は近頃、パートナーからの連絡が減っていることに大変不満がある。
見てくれていないと感じると、気が触れるほど落ち着かなくなる。
パートナーは今、誰もが納得する理由で心身忙しくしている。
全く催促するタイミングではないことは、頭ではわかっている。
そして過去の人達にもこういうことはあったけれど、誰もが連絡を取れば?という時も取らなかった。
動けば傷つくなら、最初から無い方がせめて救われるからだ。
今のパートナーは大変誠実な人で、優しい心と熱い気性を持った人だ。
私はその人で初めて、パートナーを信頼するという兆しを感じている。
逆説的な自覚で、これまでは気が触れるので扱えなかったネグレクトの時の痛みを、客観的に見れるようになったからだ。
それは人生で初めてのことだった。
人は安心すると、傷が浮き出てくる。
これまで手もつけられなかった傷を、取り扱っても大丈夫なのだと、信頼から安心しているのだ。
安心など、したことがなかった。
辛いままではある。
けれどこれまでと違う。
なにより、端的に子供のようなわがままを抱えた自分に、無性に腹が立っている。
けれどこれには肯定的でもある。
人のせいにせず、自分の責任であるという自覚。
鬱的な落ち方ではなく、怒りに転化できている。
そして、謙虚さでもあると思うからだ。
今はこの段階。
しかし自覚ができたのは、大変大きい。
ついにこれが解決するのかもしれない。
いや、する。