成長の自覚

 

私は過去に、大きな「観念の誤解」を超えてきた。

 

人の悩みは、全て観念の誤解と言い切れるように思う。

幼い頃の経験、負った傷からの恐れは、生き方を大きく左右する。

 

いくつか超えてきたからこそ、これも同じパターンなのではないか?と可能性を観れるようにもなってきた。

 

そして人は同じパターンを持つものなので、おおよそ当たっているとは思う。

 

近頃「これも同じでは」と勘付いたことがある。

 

それは自信について。

 

当時深く傷ついたことがある。

ひとつではなく、パターンで悪化もさせて、失敗を繰り返した。

もうそんな思いをしたくなかったので、心を成長させようと血の滲む努力をしてきた。

 

近頃また似たことが起きそうな気がしているけれど、近い人が多いに信頼してくれている。

 

「あなたなら大丈夫」

「必ず超えられる」

「昔とは違う」

「もう言うことがない」

 

身に余る以上の信頼。

私は自覚との差にちぐはぐした心地になるけれど、どこか自分でも光のかけらを見ている。

 

そして感じた。

私だけが持っていないと勘違いしているのかもしれない。

 

他の人は持っている、といったことではない。

私はその要素を持っている。

つまり自信を持っていい自分にはなっていて、近い人もそれを認めておる。

 

ただ自覚だけが、まだ持っていない、あの時のままだと感じている。

 

そうすると、当時のままの恐怖をありありと感じるし、自分にはどうともできないのだとも思うし、当時のように深い傷を負うのだと感じてしまう。

 

でも近い人が言うには、違うらしい。

 

「自分は大丈夫」

「昔とは違い成長した」

 

そう感じたい。

感じない限り過去の延長。

 

でももう努力はすでにし終わっていて、得ているのに、得た感覚を得ていない。

そういった状態のように思う。

 

無理矢理に思うことはない。

過去の経験で、もうひとつ知っていることがある。

 

それは、観念の壁を越えるには、力を抜くこと。

 

とても無理だと思う壁を過去に超えた時、いつもあっけないものだった。

感動的な変化を身体中に感じる、そういったことは起きない。

 

寧ろ「ふと」という程度だったり、呼吸の途中で変わるほど自然に移行する。

 

今回も力を抜こう。

ああ。

いい予感がする。