2017 → 2018
初めまして。
明けましておめでとうございます。
昨年までは、大変な生き方をしてきました。
産まれてこのかたで、特徴を要約すると、自立の極みであり、自分のやり方に固執しておりました。
年々苛烈になる環境は、私が折れ切るまで自分が追い込んだのだと、今ではよく理解できます。
仕事で痛烈な挫折があり、燃え尽き、休職を検討しました。
幼い頃から好きだったやりたい事を、何十年も押し込めてきました。
恋愛に至っては、取り立てて酷い経験ばかりでした。
自尊が完全に欠如した状態で、気力で自信を獲得しようと邁進してきた人生でした。
多くの小手先の技術や知識を身につけたにも関わらず、自分の芯は空洞のままでした。
春に仕事で、数度目の挫折でとどめを刺された思いでした。
その経験は私が一番求めていた、自分の根幹を自分が知るに至りました。
転機でした。
そこから公私多くしがみついていた、あらゆる物事を手放しました。
簡単なことではありませんでしたが、もうそれしかできないということが後押しになりました。
そして本当にやりたかった事を覚悟した翌日、大変良い出会いがあり、将来を見ていくパートナーとなりました。
終盤には父の病が重なり、自分の存在とこれからを現実味を持って向き合うことができました。
2017年はプライドや傷に起因する、誠実でありつつ情けなさに尽きる解毒を、底辺で死に物狂いで乗り越えて来た年と言えます。
そういった年の末に、パートナーが翌年の目標を話していた事をきっかけに、私は「丁寧」に生きる事を決意します。
飽くなき向上心なのか、枯渇感なのか、多くの技術と発想を得たことは事実です。
これからは多くのものを持ちながらいきられないと痛感しましたので、今後は、私の得てきたものを使い、それを活かす生き方にしたい。
2018年はその元年です。
全く新しい生き方です。
持っているものでやっていくとは言え、そのやり方が初めてなので初心者です。
なので、そのやり方を「丁寧」に作ったり、「丁寧」に確認し「丁寧」に実行します。
目の前のことに「丁寧」に。
自他物事に「丁寧」に。
そして、丁寧にできない量は、持たない。
そういったことと、別途、心を綺麗に磨いていきたいと思っています。
淀みこそ人間らしさと言いますが、私は観念のこじれとそこについた錆を、落としていきたい。
聖人になりたいかというと、そういったことではなく、ただ、磨いていきたい。
全くすぐの実現ができないことは、よくよく自覚するところであります。
生涯の目標かもしれません。
今は目標を定めただけにすぎず、ヘドロのような悪念を抱えた、問題のあるただの人間です。
ここからも、情けなく、悔しく、みっともない経験を多くすると思いますが、それを記録として残していきたい。
そして誰にも気負わず、表現していきたい。
そういう場所として、ここを作りました。
日々一つ、一つ、戻ることがあっても、何度でも意識を整え、向き合い続けることを誓います。
何らかの縁でこちらのブログへお越しくださった方、ありがとうございます。
また気が向きましたら、私の奮闘を気楽に眺めていただければと思います。