相手への対応って

 

褒めて、ニコッとして、いい感じにしとけば

大体いいんじゃないかなと思った。

 

言い方がひどいけど、要はそうな気がする。

 

私は下手に共感しすぎてしまうので

これくらいを意識した方が良い気がする。

入り込みすぎてしまう。

 

人の負担ばかりで、自分をどっかにやってしまってきたから、こんな感じで行ってみよう。

暇の我慢しどき

 

忙殺で燃え尽きが起きていた頃から

上司への申告や、働きながらの

可能な限りのお休みや、業務変更を経て

 

いますこぶる暇です。

 

暇だとつまらなくなって

なんかしたくなるんだけど

これが私の悪い癖だから直しどころ。

 

ここでいつも詰め込むから、繰り返していた。

こういうのが、平和だということを

平和を求めながらも気づいていなかった。

 

脳が暇だ…。

 

仕事中暇があると、帰ってから動く余力がある。

これでいいんだろうな。

プライベートが皆無の数年を過ごしていた。

 

生活を豊かにしたり、パートナーを作ったり

仕事での余裕は、そちらに回したほうがいいよね。

 

でも仕事中の8時間を、パンパンに使わないとか

もったいない気がしてきてしまう。

スコアの使い方を間違っているんだろうな。

 

全体の配分。

 

仕事の8時間をパンパンにしたら

プライベートはパンパンにできない。

 

我慢のしどころだし

プライベートを充実させるタイミングなのだ。

現職にうんざり

 

なんのことはなく、今の仕事に心底うんざりしている。

兆しのあった頃から異動希望を出しているが叶わず、どんどん箱に押し込まれていく感じがする。

 

代わり映えのなさ過ぎる仕事と人。

多部署との関わりも変化も少ない。

 

ここでのチャレンジも改革も頭打ち。

このままここにいると思うとうんざりする。

心底うんざりする。

とりあえず目標を立てておこう

 

何かと打ち立てることで、なんとなくそこに向かうベクトルになるのを期待して、ぼやぼやとした目標を立てます。

 

①料理

家族全員に「お店の味」認定をもらう。

 

②仕事(業務)

メンタルと締切を守る。

OJTが休んでも対応できるようになる。

 

③仕事(態度)

部長クラスの人間性になる。

 

④健康

肌と体に問題がない状態。

 

⑤副業

まずは100円。

 

⑥ライフワーク

思い描いた通りに描けるようになる。

 

あとなんだろ。

ひとまずこんなもんで。

脳がヒマ

 

迷走を極めていたライフワークが確定し

過ごしやすいプライベートも構築できてきたら

一転、仕事がつまらなくなってしまった。

 

これまでは365日24時間、仕事のことを考えていた。

 

熱量も多く、意気込んでいたけれど

比重がすっかり変わってしまい

以前はこだわっていたことも

言われた通りにしとこ、と流すようになった。

 

忙しいけれど、興味はなくなり

ライフワークに繋がる仕事でもないので

余計に気がそぞろになっている。

 

良い事としては、仕事での悩みが格段に減った。

様々なことを気にして、徹底してやって来た分の

ストレスがなくなりほわほわしている。

 

いつもPMSが酷いけれど、もう直前なのになんともない。

 

ある種の平和がある。

いつも悪いクセがあって、平和=つまらない

という図式があるので、しでかし始めるけれど

 

今はもう、ライフワークが明確なので

バタバタとすることもない。

刺激を欲しがる悪いクセも、終わっていくようだ。

 

とても良い流れなんだろうな。

ほわほわ過ごそう。

自分を大切にしないことは、自分以外への不利益も生む。

 

かつてプライベートで、パートナーに深く愛された時、私はパートナーを、どう大切にしていいか、全くわからなかった。

私が、自分を大切にすることを、してこなかったからだ。

自分をぞんざいに扱うことは、自分にしか不利益がないと思っていた。

まさかこんな形で、大切にしたい人へ、不利益(厳密に意味の合う表現ではないのだろうけれど)が出てしまうとは、思ってもみなかったし、大切にするということに対して、真っ白で想像もできない自分に、ある種の絶望感があった。


その頃、本当に自分を大切にしなければと、強く思ったことがある。

完全にハードワークで、バーンアウトしていた頃だったので、それを機に改めることにトライしてきたのだけれど、振り返れば自分の無価値観を埋めるためや、完全主義からくるハードワークを手放すことは、渾身精を出し、全てを注ぎ込んで、ある種の真価に至っていた価値観を、ビリビリと破らなければいけないということで、大変、大変強く厳しい葛藤があった。

けれど、大部分は、乗り越えた。

 

自分を大切にすることは、色々な手法や、捉え方や、表現があるけれど、私にとっては「自分を守る」ことだった。

 

自分に無理をさせないために、自分の価値観をも折る、といったことだった。

 

これまでの経緯の根底には、人に迷惑をかけたくないという強い考えがあり、それは当時ハードワークだった母親に対する、子供の頃の自分の思いが発端だと思う。

 

迷惑をかけないことで、愛されるのではというロジックと共に、迷惑をかけないことは、私の愛情表現なのだ。

 

ハードワークをやめることは、人に仕事を渡すことであり、それを迷惑と考える私は、仕事を渡すことが大変辛かった。

 

そこには完全主義の考えもあり、完璧な仕事をしたい、但し人に任せるとそのクオリティは保てない、だから完全管理をするというものでもあった。

 

二重の葛藤をようやく超え、仕事に関しては、私でいうところの、迷惑をかけるけれど、ということが、できるようになってきた。

 

しかし仕事は、ある種割り切った考えができるものだから、プライベートではまだまだ活かせていないと思う。

 

それでも仕事もプライベートも、同じ私がしていることなのだから、少しずつでも良い影響が出ると信じて、今後も自分を大切にすることを、少しずつ強めていきたい。

四角く組織を守る、窮屈さと保護

 

私の上長は、組織を四角く守る。

 

確実に目標達成に向かい、はみ出れば整え、凹みは膨らむよう促す。

 

仕事ではあるのだけれど、所属組織外の業務に精を出しすぎていた頃、よくよくはみ出ていることについて、指導があった。

 

これだけ書くと、権力行使のように見えるけれど、当時私は強い情熱があり、部外の仕事に精を出す部下にもかかわらず、上長はその意欲と想いを深く理解をしてくれて、どんな話も真剣に聞いてくれた。

 

はみ出た時には組織として、どう人を使っていくか、どう自分の権利を守るか、そういった成長をする方向で指導をしてくれた。

 

数年の時が経ち、私が潰れてしまい、部外の業務には新しい長がたった。

 

近頃その新しい長が、業務量に困窮しており、私の上長に、私の時間をもう少し割けないか、何度も相談をしている。

 

私は話し合いに入っていないけれど、私の想いを含めた過去の状況を、私が聞いても「その通りです」と言えるほど話してくれている。

 

そしてどうやら、新しい長は、私がやっていた頃に、私が散々苦難苦慮し、数年間やってきた時と同じ状況のようで、新しい長が私の上長に共感を求めているかはわからないけれど、上長は「あの人はその中でもやっていましたよ」と伝えてくれたらしい。

 

私から話しても伝わらない関係性なので、上長が伝えてくれて嬉しかった。

 

新しい長に、同じ想いをしろとは全く思わないし、できるなら地盤を固める辛さが、私で終わっていればよかったけれど、正直、当時の辛さを、新しい長に共感してもらえた気がした。

 

これまで、同じ立場の人がいなかったし、事情で全く同じ状態の人は、決して生まれないのだけれど、初めてそういう想いを少しだけれど、共有できた気がした。

 

結論としては、私の時間は割けないのだけれど、はみ出ていた頃に、上長とやりとりしてきたことは、こういった状態の場合、上長が私を部下として守ってくれた形になった。

 

これもまた、昨日のように、護られていると感じた。

 

そして新しい長は長で、私の組織外の活動を評価するように、働きかけてくれたらしく、いま苦労をかけている面は、こちらとしてもどうともできない面があり、大変申し訳ないのだけれど、そんな中でも私の件を伝えてくれていて、これもまた、護られているという感覚になった。

 

多くの人がいて、それぞれの立場とやり方と考え方があって、すれ違いを生むこともあるけれど、恵まれたのか、悪意のある私利私欲の強い関係者は、いないような気持ちになっている。

 

ただの誤解だったのだと。

 

というのも、私が躍起になっていた頃は、誰もかれもに、勝手を言われてる気分だったことがあるけれど、今も以前も、周りが早々対応を変えているとは思えないからだ。

 

未熟さは未だ著しいけれど、私の捉え方が、少しは変わったのだと感じる。