四角く組織を守る、窮屈さと保護

 

私の上長は、組織を四角く守る。

 

確実に目標達成に向かい、はみ出れば整え、凹みは膨らむよう促す。

 

仕事ではあるのだけれど、所属組織外の業務に精を出しすぎていた頃、よくよくはみ出ていることについて、指導があった。

 

これだけ書くと、権力行使のように見えるけれど、当時私は強い情熱があり、部外の仕事に精を出す部下にもかかわらず、上長はその意欲と想いを深く理解をしてくれて、どんな話も真剣に聞いてくれた。

 

はみ出た時には組織として、どう人を使っていくか、どう自分の権利を守るか、そういった成長をする方向で指導をしてくれた。

 

数年の時が経ち、私が潰れてしまい、部外の業務には新しい長がたった。

 

近頃その新しい長が、業務量に困窮しており、私の上長に、私の時間をもう少し割けないか、何度も相談をしている。

 

私は話し合いに入っていないけれど、私の想いを含めた過去の状況を、私が聞いても「その通りです」と言えるほど話してくれている。

 

そしてどうやら、新しい長は、私がやっていた頃に、私が散々苦難苦慮し、数年間やってきた時と同じ状況のようで、新しい長が私の上長に共感を求めているかはわからないけれど、上長は「あの人はその中でもやっていましたよ」と伝えてくれたらしい。

 

私から話しても伝わらない関係性なので、上長が伝えてくれて嬉しかった。

 

新しい長に、同じ想いをしろとは全く思わないし、できるなら地盤を固める辛さが、私で終わっていればよかったけれど、正直、当時の辛さを、新しい長に共感してもらえた気がした。

 

これまで、同じ立場の人がいなかったし、事情で全く同じ状態の人は、決して生まれないのだけれど、初めてそういう想いを少しだけれど、共有できた気がした。

 

結論としては、私の時間は割けないのだけれど、はみ出ていた頃に、上長とやりとりしてきたことは、こういった状態の場合、上長が私を部下として守ってくれた形になった。

 

これもまた、昨日のように、護られていると感じた。

 

そして新しい長は長で、私の組織外の活動を評価するように、働きかけてくれたらしく、いま苦労をかけている面は、こちらとしてもどうともできない面があり、大変申し訳ないのだけれど、そんな中でも私の件を伝えてくれていて、これもまた、護られているという感覚になった。

 

多くの人がいて、それぞれの立場とやり方と考え方があって、すれ違いを生むこともあるけれど、恵まれたのか、悪意のある私利私欲の強い関係者は、いないような気持ちになっている。

 

ただの誤解だったのだと。

 

というのも、私が躍起になっていた頃は、誰もかれもに、勝手を言われてる気分だったことがあるけれど、今も以前も、周りが早々対応を変えているとは思えないからだ。

 

未熟さは未だ著しいけれど、私の捉え方が、少しは変わったのだと感じる。